櫻井 ミス 税務会計事務所
ようこそ 櫻井ミス税理士事務所 のホームページへ GO! 相談・提案・改善・満足 → 人々の福祉・厚生・参加
ここからコーナーメニューです
コーナーメニューを読み飛ばす
コーナーメニューここまで
ここから本文です
本文ここまで
コーナーメニューへジャンプする
-
ニュース
-
案内板
- 櫻井のメモ 貨幣 2008年12月15日
- 櫻井のメモ ⑲ 予測可能性 ハンチントン教授に学ぶ 2008年12月10日
- 櫻井の古典 ⑭ カール・ポパーの「反証可能性」 2008年12月10日
- 櫻井の古典 ⑫ アダム・スミス 再 2008年9月4日
- 櫻井のメモ ユビキタス社会 2008年8月11日
- 櫻井の古典 ⑮ ヘーゲル 弁証法 2008年7月18日
- 私の古典 ⑩ アリストテレス 『トポス』 2008年7月18日
- 櫻井のメモ 橋と扉 G・ジンメル 2008年7月18日
- 経営管理 27) SWOT分析と企業倫理 2008年7月18日
- 櫻井の古典 ⑭ 『義務も制裁もなき道徳』 ギュイヨー 2008年6月30日
- 経営管理 26) AGIL図式 T・パーソンズ 2008年5月19日
- 櫻井の古典 ⑯ 命題 J.デューイ 2008年5月1日
- 櫻井の古典 ⑬ ジンメル レヴイナス 貨幣の哲学 2008年5月1日
- 経営管理 ⑰ 目的と手段と能率と 2008年4月22日
- 経営管理(25) コンプライアンス 2008年2月14日
- 経営管理 22) P・Fドラッカー 『現代の経営』 2007年12月16日
- 経営管理⑮ モンゴメリー 内部牽制組織 ⑭ 内部統制 2007年11月1日
- 櫻井の古典 ⑪ デカルト 2007年5月31日
- 櫻井のメモ⑰「交換の社会学」 ホーマンズの社会行動論 橋本茂 2006年4月28日
-
リンク集
案内板
櫻井の古典 ⑬ ジンメル レヴイナス 貨幣の哲学
ジンメル
『「貨幣の哲学」という作品』
岩崎信彦・廳茂編2006.3.10世界思想社
「お金だけでは幸せにならないが、それでも持っていなけらばならない。30P
経済的価値は、「獲得を目標とする犠牲の」投入から生じ、それが生み出される場の一つが交換の世界であった。経済的価値の「純粋な表現」として貨幣の概念が提起され、それに「事物の相対性の昇華したもの」「事物の大体可能性そのもの」「凝固して実体となった通用」などの本質的な規定が与えられ、「中生無記」「可分性」「通約可能性」などの性質が示された。85p
レヴイナス 貨幣 つくま学芸文庫『レヴイナス・コレクション』会田正人訳 430P
貨幣は人間の純然たる物化を示しているのではない。それは私的なものが自己を量化しつつも維持されるような境位であり、まさにこの点にこそ、貨幣の独自性、あるいは貨幣が哲学的範疇として有する威信にのうなものが存しているのだ。
貨幣は享受される物ではなく、取得の普遍昨日であるが、このような貨幣によって生み出される諸関係は、交換される製品による欲求の充足を超えたところで維持する。
貨幣をつうじて所有されるもの、それは物ではなく物の所有である。所有の所有たる貨幣は、時間を自由にする人間、瞬間的接触を越えて持続する世界に現存する人間、互いに掛売りし合い、1個の社会を形成する人間、そのような人間を前提としているのだ。
人間を救済するはずの正義は、経済のより高度な携帯、つかりは人間の全体性のより高度な携帯を否認することはできない。このようなより高度な携帯においては、貨幣をその範疇とするような人間同士の共通の尺度が現れるのだ。
人間の数量化のうちに正義の本質的諸条件を見るのはたしかに無礼千万なことであろう。けれども、果たして量も補償もない正義などありうるだろうか。・・・・19.12.20
『「貨幣の哲学」という作品』
岩崎信彦・廳茂編2006.3.10世界思想社
「お金だけでは幸せにならないが、それでも持っていなけらばならない。30P
経済的価値は、「獲得を目標とする犠牲の」投入から生じ、それが生み出される場の一つが交換の世界であった。経済的価値の「純粋な表現」として貨幣の概念が提起され、それに「事物の相対性の昇華したもの」「事物の大体可能性そのもの」「凝固して実体となった通用」などの本質的な規定が与えられ、「中生無記」「可分性」「通約可能性」などの性質が示された。85p
レヴイナス 貨幣 つくま学芸文庫『レヴイナス・コレクション』会田正人訳 430P
貨幣は人間の純然たる物化を示しているのではない。それは私的なものが自己を量化しつつも維持されるような境位であり、まさにこの点にこそ、貨幣の独自性、あるいは貨幣が哲学的範疇として有する威信にのうなものが存しているのだ。
貨幣は享受される物ではなく、取得の普遍昨日であるが、このような貨幣によって生み出される諸関係は、交換される製品による欲求の充足を超えたところで維持する。
貨幣をつうじて所有されるもの、それは物ではなく物の所有である。所有の所有たる貨幣は、時間を自由にする人間、瞬間的接触を越えて持続する世界に現存する人間、互いに掛売りし合い、1個の社会を形成する人間、そのような人間を前提としているのだ。
人間を救済するはずの正義は、経済のより高度な携帯、つかりは人間の全体性のより高度な携帯を否認することはできない。このようなより高度な携帯においては、貨幣をその範疇とするような人間同士の共通の尺度が現れるのだ。
人間の数量化のうちに正義の本質的諸条件を見るのはたしかに無礼千万なことであろう。けれども、果たして量も補償もない正義などありうるだろうか。・・・・19.12.20
2008年5月1日更新
<<HOME