松田 昭兄 税理士事務所
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ニュース
- 廃業のお知らせ 2009年1月3日
- 業務縮小 2005年2月24日
- 大竹潜水学校勤務の思い出(後) 2004年6月17日
- 大竹潜水学校勤務の思い出(中) 2004年6月17日
- 大竹潜水学校勤務の思い出(前) 2004年6月17日
- 二等兵物語(海軍OB月刊誌295号より)~2 2004年3月31日
- 二等兵物語(海軍OB月刊誌295号より)~1 2004年3月31日
- 大竹潜水学校主計科の思い出(海兵投稿第292号より)後編 2003年12月12日
- 大竹潜水学校主計科の思い出(海兵投稿第292号より)中篇 2003年12月12日
- 大竹潜水学校主計科の思い出(海兵投稿第292号より)前編 2003年12月12日
- 日本の方針は正しいか<後> 2003年10月27日
- 日本の方針は正しいか<前> 2003年10月27日
- 海軍の思い出(後編) 2003年10月27日
- 海軍の思い出(前編) 2003年10月27日
- プロフィール 9 10 11 2003年10月10日
- プロフィール 6 7 8 2003年10月10日
- プロフィール 4 5 2003年10月10日
- プロフィール 1 2 3 2003年10月10日
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ニュース
プロフィール 4 5
その4
同県人の同年兵の親友、浅野昭氏(現税理士)は、抜群の成績で普通科海軍経理学校へ。
小生は、昼夜の行軍。演習中、足に負傷。抜群の成績の一人ではあったが、一時歩行困難となり、経理学校は一時待機となり、大竹海軍潜水学校の主計科へ、実習部隊員として派遣され、5月から7月までは大阪出身の橋本禎二兵曹の従兵として、呉の軍需部へ被服の修理品の受払いに、大竹より輸送船で行ったり、広島市内の市場へトラックで食料の仕入れに行ったりしていると、戦局は不利となり、待望の経理学校は一時休校となり、第一警備隊員として、「義は山岳よりも重く 死は鴻毛よりも軽し」と覚悟せよ。
戦陣訓の通り、特攻精神で覚悟はしていたものの複雑な思いでした。
その5
ある五月晴れの5月某日、空襲もなく、瀬戸内海は穏やかな日で、戦争なんて考えられないひとときがありました。
呉の軍需工場では、若い挺身隊の女学生が見渡す限りミシンを踏んで、軍服、靴下等の修理をしている姿に、一瞬見とれた時がありました。
また、呉の軍港では、菊の紋章を前に着けた修理中の戦艦、航空母艦、駆逐艦等生まれて初めて見る多くの軍艦に見とれていると、先輩の正木一等主計兵が、
「松田ッ、この前の時はな、世界に誇る不沈艦の大和がいたんだぞ。今日はいなくて残念だな。」
と、教えてくれた。
既に、大和は沖縄特攻に出たあとだと、後日分かりました。空母、戦艦等の実物を見て、強く感動しました。
同県人の同年兵の親友、浅野昭氏(現税理士)は、抜群の成績で普通科海軍経理学校へ。
小生は、昼夜の行軍。演習中、足に負傷。抜群の成績の一人ではあったが、一時歩行困難となり、経理学校は一時待機となり、大竹海軍潜水学校の主計科へ、実習部隊員として派遣され、5月から7月までは大阪出身の橋本禎二兵曹の従兵として、呉の軍需部へ被服の修理品の受払いに、大竹より輸送船で行ったり、広島市内の市場へトラックで食料の仕入れに行ったりしていると、戦局は不利となり、待望の経理学校は一時休校となり、第一警備隊員として、「義は山岳よりも重く 死は鴻毛よりも軽し」と覚悟せよ。
戦陣訓の通り、特攻精神で覚悟はしていたものの複雑な思いでした。
その5
ある五月晴れの5月某日、空襲もなく、瀬戸内海は穏やかな日で、戦争なんて考えられないひとときがありました。
呉の軍需工場では、若い挺身隊の女学生が見渡す限りミシンを踏んで、軍服、靴下等の修理をしている姿に、一瞬見とれた時がありました。
また、呉の軍港では、菊の紋章を前に着けた修理中の戦艦、航空母艦、駆逐艦等生まれて初めて見る多くの軍艦に見とれていると、先輩の正木一等主計兵が、
「松田ッ、この前の時はな、世界に誇る不沈艦の大和がいたんだぞ。今日はいなくて残念だな。」
と、教えてくれた。
既に、大和は沖縄特攻に出たあとだと、後日分かりました。空母、戦艦等の実物を見て、強く感動しました。
2003年10月10日更新
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