関谷洋子税理士事務所
―「誠実」が信頼につながる唯一の道―
案内
プロフィール 税理士 関谷洋子
こんな風に税理士になりました
昭和52年10月に私はこの仕事の第1歩を踏み出しました。
夫の転勤の為、東京から大阪に移り住む事になり、それまで9年9ヶ月勤めた一般企業を退社、転職先が税理士事務所でした。
会社に勤めていた時は総務に所属し、社長秘書のような事をしながら、社内規約の整備、社内報の編集、昇給・賞与の試算等をしておりました。
従って、税理士事務所に入った時は経理については全くの素人でした。
その事務所の顧問先の経理担当者の方に話をうかがうと皆さん簿記の資格を持っていらっしゃるとの事、これは大変と、私も簿記3級から勉強を始めました。
幸い 昭和52年11月 3級
昭和53年 6月 2級
昭和53年11月 1級
と独学ながらストレートで日商簿記をクリアすることができました。
それならその延長で税理士試験を受けてみようかなぁという軽い気持ちで、税理士になるなどとはつゆほどにも思わず始めてみました。
家事もしなければならず、フルタイムで仕事もしている。それよりもあまり真剣でないという事もあり、受験校へ通う事もせず、本を購入し、こつこつと1人で勉強をしました。
昭和54年 税理士試験簿記論合格
その時思った事「なんだ税理士試験って大したことないじゃない」と。
すっかりなめてかかっていました。
翌 昭和55年8月 財務諸表論を受験。
自分では自信満々だったのですが、なんと不合格。ショックでした。
そして気がつきました。こんなやり方では合格できない。やり出した事なので最後までやりとげようと、反省をこめ、新たな決意をしました。
勉強方法として選んだ方法が問題を解く通信教育。解説等はなく、ひたすら練習問題を解き、解答を送り添削を受けるというやり方です。
これで3科目合格。昭和58年、あと一科目という時、このシステムはなくなってしまいました。
私には一番適した勉強方法だったので、又又ショック。
そして違う通信教育を受け昭和59年5科目合格。税理士になりました。
あまりお金をかけず、税理士になったのではないかと思っています。
真夏のあの暑い日、試験の答案に向い合っている時は、暑さも何もかも忘れ、ただただ答案を書く事に没頭していましたが、それは「快感」でした。
後にも先にもあんな気持ちのよかった事はないと思います。
物事に没頭する快さを税理士試験は教えてくれたと今でも思っています。
昭和52年10月に私はこの仕事の第1歩を踏み出しました。
夫の転勤の為、東京から大阪に移り住む事になり、それまで9年9ヶ月勤めた一般企業を退社、転職先が税理士事務所でした。
会社に勤めていた時は総務に所属し、社長秘書のような事をしながら、社内規約の整備、社内報の編集、昇給・賞与の試算等をしておりました。
従って、税理士事務所に入った時は経理については全くの素人でした。
その事務所の顧問先の経理担当者の方に話をうかがうと皆さん簿記の資格を持っていらっしゃるとの事、これは大変と、私も簿記3級から勉強を始めました。
幸い 昭和52年11月 3級
昭和53年 6月 2級
昭和53年11月 1級
と独学ながらストレートで日商簿記をクリアすることができました。
それならその延長で税理士試験を受けてみようかなぁという軽い気持ちで、税理士になるなどとはつゆほどにも思わず始めてみました。
家事もしなければならず、フルタイムで仕事もしている。それよりもあまり真剣でないという事もあり、受験校へ通う事もせず、本を購入し、こつこつと1人で勉強をしました。
昭和54年 税理士試験簿記論合格
その時思った事「なんだ税理士試験って大したことないじゃない」と。
すっかりなめてかかっていました。
翌 昭和55年8月 財務諸表論を受験。
自分では自信満々だったのですが、なんと不合格。ショックでした。
そして気がつきました。こんなやり方では合格できない。やり出した事なので最後までやりとげようと、反省をこめ、新たな決意をしました。
勉強方法として選んだ方法が問題を解く通信教育。解説等はなく、ひたすら練習問題を解き、解答を送り添削を受けるというやり方です。
これで3科目合格。昭和58年、あと一科目という時、このシステムはなくなってしまいました。
私には一番適した勉強方法だったので、又又ショック。
そして違う通信教育を受け昭和59年5科目合格。税理士になりました。
あまりお金をかけず、税理士になったのではないかと思っています。
真夏のあの暑い日、試験の答案に向い合っている時は、暑さも何もかも忘れ、ただただ答案を書く事に没頭していましたが、それは「快感」でした。
後にも先にもあんな気持ちのよかった事はないと思います。
物事に没頭する快さを税理士試験は教えてくれたと今でも思っています。
<<HOME