加藤雄士 税理士・中小企業診断士・社会保険労務士事務所
愛知県岡崎市の税理士事務所、無料相談実施中。TEL0564-21-3825。大学院教授でもある税理士が、税理士、社労士、中小企業診断士、行政書士、FPの知識、人脈を活用して多面的に経営助言します。
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事務所ニュース&情報
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所長が執筆した論文、研究ノートのご紹介 その2(2019年以降) 2024年4月17日
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所長の新刊本の出版と記念講演会等につきまして(2023.6月) 2023年7月13日
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所長の書籍のご案内(1) 2023年3月27日
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所長が執筆した論文、研究ノートのご紹介 その1 2023年3月26日
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税務と経営に関する相談受け付け中 21―3825 2022年9月10日
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加藤雄士税理士事務所の7つの特徴 2019年6月28日
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弊所長のご紹介 2019年6月28日
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所長の主な書籍書籍、研修、事務所の特徴のご案内 2018年6月11日
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所長の主な研修・講演実績のご紹介 2017年6月29日
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所長の研修等についてご紹介します。 2015年11月2日
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学び方と、人の道について 2012年7月27日
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無料相談事例の御紹介 2017年3月30日
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後継者の育成、経営者の言葉(井上ダイキン工業会長)のご紹介 2017年3月30日
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「困難なときこそ向上心を弱めず」松下幸之助さんの言葉 2015年8月1日
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経営者の言葉の数々 2011年7月7日
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所長の職歴と考え方のご紹介 2013年4月18日
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加護野忠男先生と田坂広志先生の言葉 2012年7月27日
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「論語と算盤」 渋沢栄一さんの名言集(9/12) 2011年9月12日
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経営学者の言葉 「経営戦略、マネジメントの本質とは 2011年7月7日
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勇気、意志、思想とは? リーダーの徳とは? 2011年7月7日
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所長の独り言コラム
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ゴールデンウィークの休暇(4/25)税理士研修、相続税、税務大学校、絶対浮力 2024年4月25日
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経営戦略の授業(4/15)学会、講義、相続相談、ブータン 2024年4月25日
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学生からのコメント(4/23)相続税、公認会計士合格、相続、相続税、平澤興先生 2024年4月23日
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奈良の街(4/22)税理士会、利益計画、努力即幸福、上に立つ者 2024年4月22日
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知識創造 (4/16) 事実と妄想、50年来のお客様、経営相談、表彰 2024年4月16日
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税理士会と定額減税(4/15) 経営、 相続、相続相談、50年来 2024年4月15日
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開かれた原野(4/10)impressed!、相続税、経営相談、インドに 2024年4月15日
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同志の訃報(4/11)1400年、コーチング、税務大学校、相続対策、税理士の役割 2024年4月11日
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もう一度観に行きたい(3/11)組織学会、心理学会、税務大学校、相続税、決める 2024年3月11日
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コーチング論(1/31)経営革新等支援機関、中長期計画、相続税、ミラノ万博 2024年1月31日
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税務大学校(12/26)税理士会税理士表彰、相続対策、担当科目、勇気と覚悟 2023年12月26日
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相続税申告(3/30)遺産分割、業績評価、成功、決断 2023年3月30日
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相続税の申告書(6/2 )相続税対策、若さを浪費、勉強を節約するな 2022年6月2日
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相続(8/26)相続税申告、相続対策訪問、相続税相談、決算説明 2021年8月26日
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龍馬の言葉 「四、五十人も人数が集まれば」(2/18) 2020年4月5日
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函館の土方(10/21)松陰先生、相続税、経営相談、できた人物、機上から見た風景 2019年10月21日
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電気のない島(3/1)長期的、電気も水もない島、相続税、怖れに勝る好奇心 2019年3月1日
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アルバニアに行ってみたい(4/12) 2014年4月23日
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マスカットに着く (4/5) 2014年4月23日
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財務分析研修の講義感想(10/30) 2014年4月23日
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リンク集
所長の独り言コラム
アルバニアに行ってみたい(4/12)
アルバニアという国に行ってみたいと思いました。
アルバニアといえば、
長い間鎖国をしていた国。
少し前までのガイドブックの地図では、
地図上の国土は真っ白なままで、
どこにどんな街があるかもわからなかった神秘の国です。
その国に強く興味を持ったのは、
10年位前だと思います。
マケドニアに行った時でした。
マケドニアという国はアルバニアの隣国です。
そのマケドニアのオフリッド湖という有名な観光地に行き、ホテルに宿泊していたときのことです。
その観光地のホテルに宿泊客は少なく、夕方、湖に沈む夕陽を見るためにレストランの屋外の席に座っていました。
NATO軍らしき兵士が数名、談笑していました。
彼らはおそらくコソボの警備を担当していた兵士たちだったのではないかと思います。かなり幹部クラスの兵士の雰囲気がしました。
コソボ紛争がやっと終結しかかっていた頃で、コソボとセルビ
アやマケドニアの境界をNATO軍が管理していました。
私は、その場で、現地で買い求めた英語の旅行ガイドブックの地図を見ながら、オフリッド湖の対岸がアルバニアだということを確認していました。
そのガイドブックにも、アルバニアのことは明確には説明が載っていない神秘の国という印象でした。
湖の水平線の先の方を見ながら、かの地はどんな姿をしているのか、どんな人が住んでいるのか、どんな町があるのか大変に興味をそそられました。
その国に入国して、その地をこの目で見てみたいと思いました。
その願望が10年以上残っていたことになります。
その願望が、
一気に爆発してしまったのは、
今年、
セルビアのベオグラードに滞在していたときのことでした。
ベオグラードに日本からの機中、ほぼ徹夜状態で着き、ホテルの窓から外の風景を眺めていると、その周辺は大変に古い建物が立ち並び、坂道は石畳で、これまた大変に痛んだ印象でした。
何十年前、いや、ひょっとすると100年前の街そのものではないかと感じました。
全く建物を建て替えるとか、きれいにするというような手が入っているようには見えない街の様子でした。
ユーゴスラビアの首都であった都市がこんなにも古臭い街のままであることに驚きました。
市内の一部はきれいになっているのですが、それらはごく一部という印象です。
そのとき、旅の醍醐味を味わいました。
日本と同じところを旅するのならば、旅をする意味はない。
自分の住んでいるところと全く違うからこそ、行きたいと思うし、見たみたいし、体験したいと私は考える性質があります。
そのとき、
ベオグラードに来て良かったと思いましたし、
ならばこそ、
ベオグラードよりも、もっと古い街、異質な街を見てみたいと強烈に思ってしまいました。
そこでアルバニアに行きたい!
と思い始めました。
その思いは強烈でした。
翌日、
ベオグラードで、
本屋を探して、
バルカンの国々の旅行ガイドブックを手に入れました。
その本を手に、街かどのカフェに座り、
アルバニアのページをむさぶり読みました。
ベオグラードから南下して、
モンテネグロという隣国に入り、
モンテネグロのアドリア海沿いの街バールまでたどりついたら、
そこから、
モンテネグロで一番アルバニアに近い町まで、
ローカルバスで行き、
さらにその地からローカルバスを乗り継げば
アルバニアに行けるようなことが書いてあります。
しかし、後者のバスは1日に2本しかないと書いてありました。
奇跡的な行程になりますが、それでも、その1日に2本のバスにかけてみようと思いました。
私は、
そのガイドブックを読んでいた晩の夜行列車でモンテネグロを目指しました。
翌朝、無事、アドリア海沿いのパールという街にたどり着きました。
私は早速、アルバニアに行くバスが出る町への行き方を探り始めました。
しかし、そのバスは今は走っていないといいます。
ただし、
アルバニアに行きたいならば、
連れて行ってやる、
というタクシー運転手が現れました。
不確かな片言の英語とモンテネグロ語(セルビア語?)のやりとりでしたが、私はタクシーに乗り込みました。
そのタクシーは、坂をぐんぐん廻りながら、上がって行きました。
眼下にアドリア海の海がまぶしいくらいに見えてきました。
また続きを書かせていただきます。
アルバニアといえば、
長い間鎖国をしていた国。
少し前までのガイドブックの地図では、
地図上の国土は真っ白なままで、
どこにどんな街があるかもわからなかった神秘の国です。
その国に強く興味を持ったのは、
10年位前だと思います。
マケドニアに行った時でした。
マケドニアという国はアルバニアの隣国です。
そのマケドニアのオフリッド湖という有名な観光地に行き、ホテルに宿泊していたときのことです。
その観光地のホテルに宿泊客は少なく、夕方、湖に沈む夕陽を見るためにレストランの屋外の席に座っていました。
NATO軍らしき兵士が数名、談笑していました。
彼らはおそらくコソボの警備を担当していた兵士たちだったのではないかと思います。かなり幹部クラスの兵士の雰囲気がしました。
コソボ紛争がやっと終結しかかっていた頃で、コソボとセルビ
アやマケドニアの境界をNATO軍が管理していました。
私は、その場で、現地で買い求めた英語の旅行ガイドブックの地図を見ながら、オフリッド湖の対岸がアルバニアだということを確認していました。
そのガイドブックにも、アルバニアのことは明確には説明が載っていない神秘の国という印象でした。
湖の水平線の先の方を見ながら、かの地はどんな姿をしているのか、どんな人が住んでいるのか、どんな町があるのか大変に興味をそそられました。
その国に入国して、その地をこの目で見てみたいと思いました。
その願望が10年以上残っていたことになります。
その願望が、
一気に爆発してしまったのは、
今年、
セルビアのベオグラードに滞在していたときのことでした。
ベオグラードに日本からの機中、ほぼ徹夜状態で着き、ホテルの窓から外の風景を眺めていると、その周辺は大変に古い建物が立ち並び、坂道は石畳で、これまた大変に痛んだ印象でした。
何十年前、いや、ひょっとすると100年前の街そのものではないかと感じました。
全く建物を建て替えるとか、きれいにするというような手が入っているようには見えない街の様子でした。
ユーゴスラビアの首都であった都市がこんなにも古臭い街のままであることに驚きました。
市内の一部はきれいになっているのですが、それらはごく一部という印象です。
そのとき、旅の醍醐味を味わいました。
日本と同じところを旅するのならば、旅をする意味はない。
自分の住んでいるところと全く違うからこそ、行きたいと思うし、見たみたいし、体験したいと私は考える性質があります。
そのとき、
ベオグラードに来て良かったと思いましたし、
ならばこそ、
ベオグラードよりも、もっと古い街、異質な街を見てみたいと強烈に思ってしまいました。
そこでアルバニアに行きたい!
と思い始めました。
その思いは強烈でした。
翌日、
ベオグラードで、
本屋を探して、
バルカンの国々の旅行ガイドブックを手に入れました。
その本を手に、街かどのカフェに座り、
アルバニアのページをむさぶり読みました。
ベオグラードから南下して、
モンテネグロという隣国に入り、
モンテネグロのアドリア海沿いの街バールまでたどりついたら、
そこから、
モンテネグロで一番アルバニアに近い町まで、
ローカルバスで行き、
さらにその地からローカルバスを乗り継げば
アルバニアに行けるようなことが書いてあります。
しかし、後者のバスは1日に2本しかないと書いてありました。
奇跡的な行程になりますが、それでも、その1日に2本のバスにかけてみようと思いました。
私は、
そのガイドブックを読んでいた晩の夜行列車でモンテネグロを目指しました。
翌朝、無事、アドリア海沿いのパールという街にたどり着きました。
私は早速、アルバニアに行くバスが出る町への行き方を探り始めました。
しかし、そのバスは今は走っていないといいます。
ただし、
アルバニアに行きたいならば、
連れて行ってやる、
というタクシー運転手が現れました。
不確かな片言の英語とモンテネグロ語(セルビア語?)のやりとりでしたが、私はタクシーに乗り込みました。
そのタクシーは、坂をぐんぐん廻りながら、上がって行きました。
眼下にアドリア海の海がまぶしいくらいに見えてきました。
また続きを書かせていただきます。
- 参考URL:オフリッド湖の夕景の写真
- 参考URL:アルバニアの地理
2014年4月23日更新
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