第一章 学歴戦争の本質
1. 初めての「戦場」──高校受験
学歴という言葉を意識するようになったのは、大学受験よりも前、高校受験のときだった。
私は横浜緑ヶ丘高校を志望した。当時の学区で最も入学が難しい学校であり、その合格は「優秀」という初期値のタグを社会から与えられることを意味していた。
当時の私には、まだ何の肩書も、他人に示せる実績もなかった。だからこそ、最初に得るタグはできるだけ強い方がいいと考えた。これは承認欲求や見栄ではなく、今後の人生で戦いやすくするための初期装備を整える感覚だった。
この「実利で選ぶ」という姿勢は、その後の大学選びや資格試験選びに至るまで、一貫して私の意思決定を支配することになる。
2. 横浜緑ヶ丘高校での三年間
合格して入学すると、そこは学区のトップ層が集まる環境だった。最初から「上には上がいる」という現実を突きつけられた。
私はその中で、中程度の成績に位置していた。決してトップ層ではないが、下位でもない──平均よりやや上、という微妙な立ち位置だった。
ここで私は、無理に成績順位を競うよりも、将来の武器になる能力を鍛える方が合理的だと判断した。
三年間で最も時間を割いたのは、数学と理科だった。これらは論理的思考力と構造設計の能力を鍛え、将来の価値創出に直結する科目だと確信していたからだ。公式や定理は抽象的でありながら、現実の問題解決に応用できる。学べば学ぶほど、自分の思考回路が磨かれ、武器として研ぎ澄まされていくのを感じた。
一方で、文科系の科目にはほとんど魅力を感じなかった。そこでは人間関係の調整や感情表現が中心で、私には「実態として無」に映った。言葉で関係を整えることはできても、それ自体が新しい価値を生むわけではない──そう考えていた。
だから私は迷わず、数学と理科に集中し、再現性のある思考の道具を頭の中に積み上げていった。
3. 学歴という見えない戦場
日本社会において「学歴」は、あたかも人生の勝敗を左右するかのように語られる。
受験というシステムは、東大、京大、東工大、早慶といったブランドを階段状に並べ、どの段に立つかで人生全体の評価が決まるかのように見せる。
しかし高校時代の私は、この戦いが必ずしも価値のあるものではないことをすでに察していた。
勝負する土俵を間違えれば、時間と労力を無駄にするだけだ──そういう直感があった。
4. 東大・京大という「認めるべき存在」
東大や京大は、王道(土俵内)での勝負において圧倒的である。
知的基盤、学問的蓄積、社会的ブランド力──これらは一個人の努力で覆せるものではない。
私はそこに敗北感を抱いたのではなく、素直に「勝てない」と認めた。
勝てないからといって人生の全てを失うわけではない。ただ、この土俵で勝負することは自分の時間に見合わない──冷静にそう判断しただけである。
5. 東工大・早慶は「勝てるが、戦わない」
一方で、東工大や早慶は話が違う。
条件を整えれば勝てる可能性は十分にある。しかし、そのためには浪人や望まない学部の選択といったコストが伴う。
1年間という時間を学歴だけに投資するよりも、その分を他の分野に投資すれば、将来的にもっと大きな利益と自由を得られる可能性がある。
勝てる戦いでも、実利が小さければ参戦する価値はない──これは戦争にもビジネスにも通じる普遍の原則だ。
6. 浪人は最大の機会損失
浪人は、一年間という貴重な時間を学歴一点に賭ける行為だ。
その投資が回収できる保証はなく、たとえ成功しても、そのブランド価値が将来の所得や自由時間をどれだけ増やすかは未知数である。
私はこれを「ROIの低い戦い」と見なし、現役で東京理科大学に進学した。
しかも理科大の合格通知が届いた時点で、東京の大学ではない横浜国大には願書すら出さなかった。すでに勝負の土俵は自分の中で決まっていたからだ。
7. 土俵を選び直す
学歴という既存の土俵から一歩降りた私は、新しい土俵を自ら設計した。
それは 所得・自由時間・知名度 の3つの指標で戦うフィールドだ。
この土俵なら、東工大卒や早慶卒はもちろん、条件次第では東大・京大卒すら上回れる。
8.実利で覆す学歴序列
その結果、私は東工大卒の平均所得を大きく上回り、自由時間も何倍も確保できた。
さらに、YouTubeでは税理士として150万回再生目前という、学歴とは無関係な評価軸で世間を上回った。
「理科大<東工大」という世間の先入観は、数字という普遍的な言語で覆した。
9. 学歴戦争の本質
学歴は確かに人生に影響を与える。しかし、それは戦う土俵を選び間違えた場合だけだ。
勝てない相手には土俵を変えて勝つ。勝てる相手でも実利がないなら戦わない。
この単純な原則こそ、私が高校受験から大学受験までを通じて掴んだ唯一の教訓である。