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画像は、2024年10月に旅行したエジプトのアブシンベル大神殿です。ナセル湖での遊覧船から撮ったものです。アブシンベルでは、➀遊覧船からのアブシンベル大神殿と小神殿撮影②実際に足を運んでのアブシンベル遺跡内部の見学③夜には「アブシンベル音と光のショウ」④翌早朝の「朝日のアブシンベル神殿観光」を楽しみました。神殿内部造作の大迫力に圧倒され、同時にまた感動・感動の連続でした。旅っていいですね。
アブシンベルについては、ウィズベキアに下記のような記載がありました。アブ・シンベル神殿(Abu Simbel)は、エジプト南部、スーダンとの国境近くにあるヌビア遺跡。紀元前1260年頃の建設で、アモン・ラー神などの岩窟神殿
概要・歴史
オリジナルは、砂岩でできた岩山を掘り進める形で作られた岩窟神殿。大神殿と小神殿からなる。建造主は新王国時代第19王朝の王、ラムセス2世。大神殿は太陽神ラーを、小神殿は女神ハトホルを祭神としている(小神殿は王妃ネフェルタリのために建造されたものでもある)。
建設後、長い年月の内に砂に埋もれていたが、1813年にスイスの東洋学者ヨハン・ルートヴィヒ・ブルクハルトによって小壁の一部が発見され、1817年にブルクハルトの知人であったイタリア人探検家ジョヴァンニ・バッティスタ・ベルツォーニによって出入り口が発掘された。
1960年代、ナイル川にアスワン・ハイ・ダムの建設計画により、水没の危機にあったが、ユネスコによって、国際的な救済活動が行われた。1964年から1968年の間に、正確に分割されて、約60m上方、ナイル川から210m離れた丘へ、コンクリート製のドームを基盤とする形で移築された。現在ではアスワン・ハイ・ダムの建設によってできた人造湖のナセル湖のほとりにたたずんでいる。この大規模な移設工事がきっかけとなり、遺跡や自然を保護する世界遺産が創設された。アブ・シンベル神殿は世界遺産の象徴的な遺跡で、文化遺産として登録されている。
アブ・シンベル大神殿
アブ・シンベル大神殿。青年期から壮年期までの4体のラムセス2世像が置かれている。左から2体目の手前にある岩塊は2体目の頭部の一部
大神殿の四体の像はラムセス2世で、その前に並んでいるのは家族の像である。奥にはプタハ神、アメン・ラー神、ラー・ホルアクティ神、そしてラムセス2世の像がある。像の脚にはヌビア遠征に赴いたギリシャ人傭兵による古代ギリシャ語の落書きが彫られている。
ラムセス2世像のうち向かって左から2体目は神殿完成の数年後に起きた地震によって崩れ、頭部の一部が2体目の前に転がっている。
壁には神聖化された聖なる船の前で儀式を行う場面が描かれている。浮き彫りに王の業績、北の壁にはカディシュの戦い、南の壁にはシリア・リビア・ヌビアとの戦いが描かれている。
光の照射
この神殿では、10月22日と2月22日の年に2回、太陽の光が神殿内部を通過し、神殿の壁と奥の4体の像のうち、冥界神であるプタハを除いた3体を照らすように設計されたと考えられている。現在はその日付の1日後にこの現象がみられ、観光の目玉となっている。神の化身としての王の力は、太陽光のエネルギーによって活性化し強化され、ラムセス2世はアメン=ラーとラー・ホルアクティに並ぶ力を得たと考えられている。
この二つの日はそれぞれ王の誕生日と即位の日であると言われているが、それを裏付ける直接的証拠はない。
しかし、これらの現象は特定の重要なイベント、シリウスのヒライアカル・ライジングと発見された碑文に基づいた計算によると、この日付は確かに10月22日であった可能性がある。地球の地軸の歳差運動のため、北回帰線におけるずれが蓄積し、この通過する日時は神殿が建てられた3000年前より大幅にずれている。この程度は、神殿がもとあった場所から移動されたため悪化している